どもKENTEKOです。
今生の先、人生の行きつく先が少し見えてしまうと、燃え上がるタイプの人、静観し淡々と向かう人に分かれると感じます。
私は静観し淡々と向かう人だったみたい。
人生は思ったほど長くないという現実も見え、しかし無茶をするほど無駄に消費をさせるつもりはなく。
与えられた仕事は責任においてちゃんとこなす様に動いているが、それ以上のことはそこまで熱心に推し進めようとはしない、こんな感じの人に囲まれると、自然と私もその様に染まっていったんだと感じます。
少し前であれば「こんな状況ではダメだ」と躍起になり、色々無駄に精神力を削って、ただただ疲弊していったに違いありません。
今は現状を許容しながら、自分自身の現状を把握しようと努めている。
昔付き合っていた方が、その職場に染まるのは嫌だということで、信念っぽいことを言いながら転職をしていましたが、結局何かから逃げていたんだと思われ、その後精神的に不安定となり、お別れをすることになったりした経験からも、別に永遠にソコに居続ける訳ではない事を前提に、自分が納得するまでやってみて、納得したら変わればいいんじゃないのという感覚は、決して間違ってはいないと思います。
と同時に、本気で合わないと感じた場所では、もっと早いタイミングでの離脱も。
この「染まる」というのは、結構勘違いだと感じる。
染まったではなく、与えられた仕事を掌握しはじめたということなんだと思う。
要するに『人に頼らず自分の力でできるようになった。』という喜ばしいことだ。
そうなるといちいち何かを言われることもなくなるので、勘違いが続くと「相手にされなくなった」とか思ったりしそうだが、悪い方向に考えすぎずに集中すべきである。
とか思っちゃたりして~
詰め先の大手企業に勤める方々も、色々愚痴を言ったりですべてが順調ではないのが人生。
隣の芝は青いという言葉を毎日堪能しております。
大手中小関わらず、そこはそこでの問題は有り続けるんですよね。
大手になると特に自分の考えだけでは何ともならないので、焦燥感と無力感の間に挟まれ病む人の多いこと。でも福利厚生は厚いのでいいんですよ。