どもKENTEKOです。
こんな記事がありました。
こういった記事の本質は、これから社会保障費の為に増税しますよ~という提灯だと思いますけど。
私は、ドンピシャ就職氷河期世代。
母親から聞いた話では、現在引きこもりの同級生が2・3名いるらしい。
高校卒業時にあった求人票はジャンプ2冊分ほどあった。
翌年くらいにバブル崩壊。
それから約2年後の専門学校卒業時には、秒で数えられるくらいの求人票しかなかった。記憶では10枚無かったと思う。
そんな数の求人票を卒業予定の在校生1000名で取り合うなんてそもそも出来ず、担任教師からは「このような状況ですので、就職先は各自で探すように」という、何の為に専門学校へ行ったのかという惨状。
就職活動をしている場合は授業に出なくてよいという特別措置を受けたが、そうそう簡単に決まる訳もなく。
その頃、授業中マンガを読んでても叱られなくなった奴が居た。
何やら家業を継ぐ事が決まったと言ってた。
学校側も生徒の就職斡旋への肩の荷が降りたのか、変な特別扱いだったな。
あと、それならもう学校来なくてよくねーか?と思ったりもした。
そんな時期に彼を他人に取られたという同級生の女生徒が登校拒否になったり、就職活動を諦めフリーターをやると言い出す本末転倒な奴も居たり。
まぁ学生なんてこんなもんよ。
自分は、なんとか滑り込みで2月に決まった小規模物販の店舗をやっている会社に就職できた。
通勤時間が電車で片道1時間30分かかるけど、若いから何とかなった。
初任給はこんなもん
大卒だと7号になるので、同期の大卒者は184,000円だと思う。
※翌年が1号上がって182,000円だったので。
そして会社が好き勝手できる謎の項目『調整給』
これ過去に何度も減ったりを繰り返してたなぁ。
理由はいまいちわかんない。
勤務2日目から22時までの強制残業勤務が始まったので、毎月の残業時間が80~90時間ほどつく事になった。
それでも残業手当は8~9万しかなかったな。
最低時給600円台の時代だったので。
総額は交通費抜いて27万円くらいで、手取りで22万くらいで推移してたのかな。
平日とんでもなく働いてても、土日に遊びに行ってたので若いって凄いよ(笑)
22時で終われたのは、私は自宅が遠い事が幸いした。
近所から通ってる同期は、大体25時頃の業務終了&帰宅だったから。
毎日顔を合わせると「いつ辞める?」と聞き合うのが挨拶となっていた。
二人とも目は死んでいた。
実際、同部署の同期で大卒者二名が一年以内に辞めていった。
こんな生活をしていると、休日の金遣いがどうしても荒くなる傾向があったと思います。
彼女と出歩き、物を買ったり飯を奢ったり、中古で買ったスカイラインGTS-tのパーツを買ったり。ターボタイマーとかブローオフとかね(;^ω^)
特に貯金をする意識も少なく、使いきれずに残った残高が30万円くらい貯まってるのを見て「結構あるじゃん」と思ってたくらいです。
当時は、今ほど初心者に向けてお金の知識や投資を教えてくれる情報源は無かったですからね。
テレホーダイ世代としては、インターネットやyoutubeによる情報の発達は本当にありがたいと思います。
初めて株式投資を始めたのは、27歳くらいの頃。
ちょっと遅いですが、貯金が200万を超えたあたりから、将来のために投資とかしといた方がいいんじゃないかと思いだしました。
しかし証券会社に口座を開くという事にハードルを感じていましたが、通勤路にあるコンビニのローソンの端末で証券口座が開設できる事を知り、レジ横にあった資料を手に取りさっそく開設の手続きを行いました。
今はもう無いですが、当時の名称は『ピーカブー』。
日興コーディアル証券のサービスでした。
口座を楽天にまとめたので、現在利用はほぼしていませんが一応今も口座はあります。
調べてみたら現金で900円程入っていました。
その後、役職も上がりストックオプションを買付をする度に、会社の指定する証券会社が変更になっていったため、合計で3つの会社で口座を作る事になりました。ほんとメイワクな話、私にとっても証券会社にとっても。
そのうちのひとつの証券会社なんて、ネットバンク機能が無いので、今どき電話で注文という、”昭和”を彷彿とさせる仕様しかなく、今年久しぶりに電話をしましたよ。
株主優待用に1単元だけ残して、残りを全部売却。
売ったお金は赤字の弁当屋に入れるつもりでしたが、幸い入れずに済んだので資産のまま残っています。
そして持ってた証券口座を使い、リーマンショックでダダ下がりした株をいくつか買い、その後気絶投資法(忘れておく)で、5~6年後に+10万単位の上乗せがあったので、資金増加に役立ってくれました。
ココ壱番屋の株が底値くらい(10万前後)だったのはおいしかったです😋
当時、結婚すると何故か信じてた彼女と別れてからは、貯蓄が増えるスピードが上がりました。
「あっ、700になった」
「おっ、もう900だ」という感じで。
毎月の給料はこんな手順でを決めてました。
(手取り額-固定費)=残り額
残り額-小遣い(3万円)=貯蓄
貯蓄といっても別口座に入れるとかはせず、給料が入る同じ口座のままで管理してました。
普通に使えるのは、小遣いの3万円が基本。
またその3万円は、別に封筒に入れておき財布一万円しか入れないルール。
私の時は一万円札でしたが、五千円とかで管理したりすると、もっと細かい管理が出来るかもしれませんね。
この三万円で、如何に苦しまずにやりくりできるかが段々楽しくなってきたら『ゾーン』に入ったと思います。
口座のお金は気にならなくなるので、お金が減る心配も減少します。
若いうちは急な出費話があったりしたので、その時は仕方がないので使います。
そうではない時は使わないのメリハリが支出に対してできる事が重要。
私も会社員なりたての頃は、月に何度もATMに行ってた記憶があります。
こんなのを繰り返すだけで、貯まっていきましたね。
貯まる額は、残業代とかで変動したので決まっていませんでしたが、6~10万くらいをいったりきたりだった気がします。
そんな貯蓄癖を身に付けたお陰で、家のローンの繰上返済が出来たので、この無職の時点での固定費がかなり減って、無収入でもあと数年はいける!!と危険な気持ちが湧いてきます。
もうガッツリ金のために働くって気分でもないので、紹介頂くお仕事を真面目にこなしながら、ちょこっとお小遣いが使える状態まで持っていきたいと思います。
そして投資しながら貯蓄2000万円も目指してっ!!