どもKENTEKOです。
気象庁の『梅雨明け伺い』から、ずっと雨模様でうんざりである。
父とも「梅雨明けが言われてからが梅雨本番だな」と話し合っていた。
陰鬱とした気持ちをアドレスV100で白煙吐いて発散したいところだが、中々そうもいかない。
アクセル全開にしても出る速度が知れているので安全にストレス発散できる安全マシンなのだ。
そんなのグ〇タ氏が見たら、目を血走らせ包丁持って追いかけられそうなチャイルドプレイが発生しそうである。
☆彡
この歳になって転職を繰り返して思った事があります。
それは結構ネガな事として今は捉えている。
それは、「この仕事を一生していくのだろうか」という漠然とした感覚。
※同時に「ずっと無職だったらどうしよう」というのも最近はあるよ。
そんなのまともな精神状態であれば「そんなことは無い」と言い切れる事なんだけど、ちょっとメンタル疾患を齧った状態の私は、そんな事を思ってそこはかとない感覚に陥っていた。
特に正社員という立場での就業となれば、”自分の好きな様に”とか”自分の責任の範疇で”といった部分にかなりの誤差が生れてくる。
直近でやってた弁当屋店長の時も、社長に決済上の確認をしているのに「そこはKENTEKOさんの判断でいいですよ」とか、後で絶対何か言われるであろう事を平然と振られるのが非常に困ったことだった。
その基準の曖昧さが前店長との確執を生んだりしたのだろうと推察できるが、今となってはどうでもよい事だ。
給料安くて働きにくいとか、冷静に考えなくても最悪の職場である。
あえて言うと消えゆく命から絞り出す資金で食いつなぐ、イノベーションが生み出せない産業のランカーでもあると思うので、株価も軒並み下がっている状況だ。
ディスっている訳ではなく、自分がやっててそう感じていたし、そういう仕事も必要なんだよなと理解した上であえていうと、そういう方向性にある産業だと思うのだ。
きれいごと抜きで、日本でイノベーションが生み出せないと言われる事も事実だし、こうした終末を誰かに任せる事も社会的意義はあるのである。
怒りでも諦めでもない、微妙な感覚がいつも私を覆っていた。
しかし面と向かえば努めて明るく接していたのも事実。
建前と本音の狭間で人は壊れていくのかもしれない。
まだ少し先だが、知り合いの仕事を手伝うというか、仕事の半数を埋める働き方をする予定だが正社員ではなく業務委託で行う。
色々考えて、正社員での働き方についてはどうでもよくなった。
この先の人生、やはり自分でビジネスを回したいという気持ちはあるので、自分がやりやすいかどうかで決めていきたい。それでないと長続きしないという事もあるし、年齢的にもあっちゃこっちゃやっていられないのは弁当屋社長に言われるまでもなく間違いない。
以前からやってみたいと思っていた事がある。
それは自分で弁当屋を回していた頃からなので、かなりの年数が経っているが、急激ではないが着実に店舗も増やしており、成長性や将来性もそうだが、やってみたい~が先に来ないといざ開始しても面白く感じないだろう。
働き方の方法を間違えれば、その仕事を開始する為の時間を作る事も出来なくなるので、正社員でなくてもいいのである。誰かの会社の利益を作る為の奉仕活動は20年以上やってきたし、もういいだろう。
出戻った弁当屋で気持ちが入らなかったのは、間違いなく自分の会社では無くなった事、チャキチャキ系社長との相性も悪かったことがあると思う。
相性についてはしゃーない、社長が悪い訳ではない。一緒に居ると疲れちゃうだけだ。
一生やるかもしれないなら、少しでも気になる事やってみたいことにしないと、長い時間の牢獄に捕らわれた感覚になってしまうだろう。
とかね、どうしてもまだ暗部に転んでいくのはメンタルが完全ではないからだろう。
先日甥っ子たちと回転ずしに行った。
上の甥っ子はもう中学二年なので、妙に落ち着いた感じで、下の甥っ子は今年5歳。
私の横の席で寝転がり、腹を出したり背中を出したり、半裸状態になったりして、落ち着いて寿司を食えよ、なんだが子供にとっては外食は遊びの一環で。そんで叱らない爺ちゃんと叔父ちゃんが一緒なので、やりたい放題。
なんというフリーダム精神に溢れているんだと感心した。子供ってこんなだよね。
時々こういう純粋なエネルギーに触れる事で元気をもらえる。
上の甥っ子の夏期講習も決まったみたい。
金は出してあげるからと言っておいたが、そこは親の意地からか金の話はしてこなかったな。いくらかかるのかわかんないけど、少しは出してあげようかなって。
まだまだ、人生何が起きるかはわかんないからね。
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