どもKENTEKOです。
胃がんと診断された父。
その診断がされる少し前から特有の臭いがありました。
その臭いは、ずっと部屋に残って消臭剤を使っても中々消えない。
最近、これが”がん”の臭いなのかなと。
食事療法を始めてから、その臭いは明らかに減少したと思います。
食事療法を始める際に、色々な情報を得ながら、体質改善に向けた十か条を作りました。
その中には運動による体内炎症を抑える目的で『筋トレ』も盛り込んだのですが、どうもやっておらず、ただただ痩せていってしまっている。
少食or断食状態なので仕方がないとも思うが、ずっと一日三食生活だった生活習慣が、朝抜きの一日二食になり、食事量もこれまでと比べかなり少なくし、家で動かない生活となると、まず脂肪が分解され次に筋肉が分解されていく。
そんな状況でも死に向けた準備だけは着々としており、日々色々な情報や依頼が飛んでくるのを見ながら、どうも医者から言われた『余命』に向かって突き進んでいる様にしか思えないのだ。
人は人から「あなたはこうだよ」と言われると、それが頭のどこかに残った状況で、自然とその方向に向かっていってしまう事があると思う。
実際はそうでなかったとしても、演じていってしまうのだ。私もその経験がある。
父は余命を聞いた事で、そこまら逆算し、いつまで生きられると期間を決められてしまったことから、それに向けて体力も減らしていってる様にしかみえない。
多分ここで「そんなことはない」などと考えられる人は、自ら行動を起こし自らの運命を変えていけるのかとも思うが、実際には、中々そこまでになれる人はいないのかもしれない。そりゃ「あんたここまでしか生きられないよ」と言われたらそうもなるか。
特に団塊世代に絶大な権威を誇る医者の言葉だもんね。
日常的に医者に掛かってると、余計にその言葉に沿っていってしまうわな。
いずれにしろ、人生で一回限りの自分の死が、他人によって”いつごろ”と言われる状況における精神状態はまともではいられないだろう。
そうなった時に、自分なら耐えられるのか?と真剣に考えたりする。
私は医者にかかる事が極端に少ないのであまり鵜呑みにしないというか、根本治療においては信用していないレベルなので、色々考えた結果自分の体からのサインを信じる方向に進むと思う。
普段の生活でなるべくその話題には触れない様にしているのだが、母はあからさまに体調を心配したりして、なんて下手くそなんだと見ている。
気持ちは分かるが、本人が辛いと言っていない時まで、それをするのは気持ちまで病人にする悪手だと思う。
人が死を恐れるのは、
・自分という物質的存在が消えてしまうこと
・家族、友人との触れ合いができなくなってしまうこと
という究極の孤独をイメージしてしまうからなのかしれない。
私がこれまで興味を持って学んできた部分でいけば、死は肉体を脱ぐ事だけであり、本体たる精神はその先も生き続ける(厳密には生きているとは言わないのかもしれないが)という事をなんとなく感じている。
それを確信にする様な出来事も色々体験してきたし。夢なのかもしれないけど( ´艸`)
また親が居るという事は、順当にいけば親は自分より早く死を迎えるという事は、随分前から理解する様にしてきた。同時に自分の方が早くなるかもしれない事も理解。
漠然とした死という恐怖の対象に対し、その緩和を求めて情報を集めていた気がする。
そうこうしてるうちに、リアルな家族の死がやってくる状況になり、最近は心の整理がついてきた。