どもKENTEKOです。
こんな記事を見つけました。
問題は、
「4人に8枚ずつシールを配るには何枚必要ですか?」
掛け算の問題ですな。
答えは「32枚」なんですが、そこに至る計算式の表し方に教師が難癖をつけるらしいのです。
私も頭の中で ”4人 × 8枚 = 32枚”と計算したので、回答用紙には、その数式を書いたと思います。
この回答だと『不正解』とされるらしい。
一人8枚必要な状態とする人が4人いる。
”8枚 × 4人 = 32枚”
が正解の式なんだとさ(白目)
簡単に解説すると、式作成における順序があるらしい。
答えの単位が『枚』なので、それと同じ単位の数が、式の最初には答えと同じ単位の数字が、それに対し掛けたい数字(別単位)を後に持ってくるという事。
しかし著名な数学者さんたちは軒並み「そんなことはどうでもいい」と言っているらしいので、結局無駄な解釈で正解も不正解とされてしまうみたい。
これは理不尽だよね。
世界は理不尽だらけだけど、小学生の時にこんないやらしい理不尽を受けるのは可愛そうだわ。
この記事の元となったツイートは親御さんらしいが、その親御さんもだし、それを見た私も「う~ん、わからん」だっただから、一般的な共通認識だと思う。
そんなルールを説明された記憶はないんだよ。
窮屈すぎ。
より効果的な結果を求めず過程に価値を見出す事へ特化しすぎ、そんな思考の賜物がたった10万円給付だけだったら280億で済んだものを約1000億の事務費用追加で進めてしまう生産性皆無の権化みたいな政府を生み出してしまうのだろう。
結果的に約1000億の追加支出になったが、その過程では、いきなり給付金として1000億にしなかったことを財務省は評価したのかな。
仮に政府が「1000億円規模の給付金にしたい」と言ったら、全力で拒否反応を示したことだろう。
政府「給付金は280億程度に抑え、クーポン製作の事務費用967億円をかけます。」
財務省「給付金の額は抑えましたね。了解しました。」事務費無視
”現金を配る”という事にだけフォーカスし判断したのだろうか。
結果はどうでもいい、あくまでも過程を嗜むのだ。
ただ、確かに経費の無駄と思いがちではあるが、遠回りだが約1000億円のお金が、財政支出を渋る財務省のお墨付きで市中に流れたというのであれば、そのお金が経済をちゃんと回してくれればいいと願う。
どこかの会社と一部経営者の口座に眠ってしまうのであれば、それは勘弁して欲しい。
サラリーマン経営者の勘違い。
個人のお金と同じ様に貯金してしまう。
資金は回してなんぼ、が理解出来ていないから溜め込まれてしまう。
出して回収、出して回収、これが健全な経済を回す活動になるのだが、滞留や回収だけしていれば経済は回らず、安易な値引き合戦で生き残ろうとする。
利益が減少し、使えるお金も少なくなる。
政治が結果を考えない(考えられない)、というのは結構前からで。
個々で能力が高い人が混じっても、烏合の数が多く飲み込まれてしまうのだろう。
数の暴力とはよくいったもの。
昭和時代の貯蓄をすすり続けている。
国家の発展性は封印された。
海外から事ある毎に言われる「日本の生産性は低い」というのは、こうした結果に向かおうとしない言い訳や解釈次第でなんとでもする運用がまかり通ってきた事にあるだろう。
最初の問題における数式の解釈なんて、結果においてはどうでもいい。
結果は正解、正解=正解なのだ。
仮に((8×1)+(8×1)+(8×1)+(8×1))でも正解だ。
でも4×8でさっさと答えを出すのが最適解だと思わないところに、歪な教育を感じるね。
高度経済成長の時は、政治も会社も色々ザルでなんとかなった。
しかし今は経済成長期ではない。
成長期でなくなると何が起こるかと言えば、管理や引き締めが始まる。
私がいた会社でもそうだった。
徐々に権限もはく奪されていった。
会社から「考えるな」と言われている感覚を受けた。
これまで駄々洩れだった部分を引き締める程度には必要であるが、日本人は縛り付け大好き。
身動きが取れなくなるまでやり過ぎてしまう。時に死ぬ事もあるだろう。
今は確実に、経済から市民生活までをコロしにきていると感じる。
でも生きる。
生き残る様に動いていくしかないね。