どもKENTEKOです。
ツイッターでフォローしている『仏の教えwords of wisdom』さんのつぶやきで
「いま苦労すれば将来、幸福になるだろう」という考えには、幸福になる保証はありません。「いま」幸福になるしか道はないのです。いまの瞬間、幸福をみつけた人は、次の瞬間も幸福にする方法を知っている。長い苦労とひきかえにすることもなく、とっくに幸福になっているのです
私の母親は思い込みが激しく、若い頃に父親が家計用の通帳から、少々拝借した件を未だに根に持っており、現在においても勝手に通帳から金を抜いているのではないかと案じているのをよく見ます。
実際に今でも金を抜いているのかどうかは、ATMに行って記帳をすれば一発で分かるのですが、それもせずに頭の中に作り上げた悪い父を見ては、疑心暗鬼を繰り返している。
これって、過去の不幸をずっと想い、数十年経った今でもその不幸に囚われ続けている典型例だなと思って、言い始めると生暖かい目で見ています。
母親にはいい加減判って欲しい気持ちもありますが、私が子供であるという一点で、母には『子供の言うこと=低能で無知である』という図式が成り立ってしまっているので聞く耳を持ちません。
毎回「偉そうな事を言って」「結婚もしていない癖に」と返されるばかりなので、言う事に疲れ、飽きてしまったので、今は言っていません。
別に偉そうな事を言ってはいないんですけどね(;^ω^)
「辛かったら別の楽しい事を考えたら?」とか「人は変わっていってるよ」とか、その程度の事を言ってるだけで。
母の毎日の生活を見れば、
好きな時に起き
毎朝喫茶店に行けて
友達からの電話でおしゃべりして
好きな時に昼寝して
家でカラオケして
生活費は父が稼いできて
家のローンもなくて
傍から見て幸福と思える事が実現出来ているのですが、毎日の夕飯を作る事に疲れてしまって、それが不幸な事としての一点に集中しているのです。
そして自分が如何に不幸なのかを前面に出してきて、脳内でいつまでも変わらない悪い父に敵対し毎日を過ごしている。
衣食住が満たされた状態であるが、心はいつまでも満たされないご様子。
夕飯も母が「疲れているので外食したい」と言えば、父も私も文句も言わず「どこ行く?」となるだけ。
何だか勝手に自分の都合の悪い事は全て他人の所為であるやっているのですから、表面上では不幸を甘受しながら、深層心理では絶対楽しんでいるよなと思う事すらある。
なので、本能で楽しんでいる相手には、どんなアドバイスも無用。
「私の楽しみを奪うな!!」とどこかで言われた気がしたので、「楽しんでいるのか?」と聞くと、「バカにするな」とか言われ、もう訳が分からないよ。